って本当に可能なのだろうかという話。
『推し』という言葉をあまり気軽に使いたくないオタク人生だったから、キャラじゃない姿の現場に行っても手紙を書いてもプレを贈ってもみんな『好きメン』だった。でも新しい好きメンは自ら『推し』という言葉を使う人だった。それを聞いてから「好きなだけで、推してない」って言うのは失礼な気がして、彼の事も『推しメン』と呼ぶようになった。*1そう呼ぶからには順番とかつけたくなくて何度も友達に「そんなにあの子のこと好きなんだ!?」って驚かれた。*2
でもどうしても、彼が私の大好きなキャラの姿をしている時は自分がなんなのかよくわからなくなってしまう。
年始、音曲祭があった。初日に「刀剣乱舞のこと好きすぎて具合悪くなってきた」と言っていたら「いつもでしょ」と冷静に返してきたフォロワーが終演後は同じくおかしくなっていた。ガーデンシアターの前方にはヤバい粉が撒かれているので、友達みんな変だった。国宝の方の推しメンのことを考えて号泣したりしていたけど、概ね楽しかったと思う。
毎公演増えていったとんでもない量の手紙の下書きを抱えて博品館に向かったのが2月も終わりかけの頃。手紙を書いてプレを買うためだけに後泊して、さあ書くぞとスマホのメモを開いたら、なんか、これは書けないと思った。数時間前まで俳優厨として彼の芝居を観ていた私の自我が、音曲祭とオダイバの感想を書くことを拒否した。何って、全ての言葉が大好きなキャラに宛てた言葉にしか見えなかった。「刀の現場ではキャラ厨でしかいられない」って自分で言ってはいたけど想像以上で、俳優厨ってどんな手紙書くんだっけって過去の下書きを片っ端から読み返したりした。よくわからなかった。よくわからなかったから、伝えたいことと刀じゃない現場の感想を書いた。
あれからなんだか全ての事象に疑問を抱いてしまう自分がいる。キャスで話したことも、もしかしたら純粋な俳優厨だったらなんとも思わないことなのかもしれない。いや『純粋な俳優厨』ってなんだよって感じだけど。
地軸の方の推しメンの彼は知れば知るほど最初に抱いていたイメージとは違う人で、人として尊敬できるし、役者として伸びてほしいし、*3この人のオタクになれて嬉しいなって本当に思っている。だけど私は一生キャラ厨で、一生刀の現場で彼自身を見ることができないのなら、それって本当に俳優厨って言ってもいいのだろうか。
自分がものすごく失礼で最悪な人間な気がしてくる。キャラ厨が俳優厨に完全にシフトするためにはキャラ厨の自我を完全に捨てるしか方法はないのでしょうか。ご存知の方がいたら現場で捕まえて教えてください。
おわり。