てんさいサイコー人間国宝

DD(どう考えても天才が 大好き)

やはり私は『舞台俳優厨』だということ

深夜のツイキャスにお集まりいただきました皆様、ありがとうございました。

部屋の掃除の為に1時間くらいだけやろうと開いたら友達が参加してくれ、結果6時間近く喋り倒すことに。今から眠らせ薬を服薬すると仕事に支障をきたしそうなので、いつも起きる時間まで二人と話していて思ったことを書き残しておこうと思う。

 

 

「健康にオタクをするということ」は実は「見返りを求めること」なのではないかと最近思うようになった。勝手に相手の人生を背負った気になって身を滅ぼすより、「ファンサがほしい」「イケメンに認知されたい」という欲望が丸出しな方が演者からしたらわかりやすいのではないかと思う。勿論そこにはかけた時間やお金の分だけ、という制約はあるが。

健康にオタクをするということ - てんさいサイコー人間国宝

以前こんなことを書いた。難しいことを全部放棄してこういうオタクの仕方をするのは本当に健康的だと思う。だから私もファンサ乞食というものになってみたわけだけれど、それなりに楽しかったにしてもどこか物足りなさを感じていたのも事実だった。

何って、やはり私は『舞台俳優厨』だということだ。私が好きなのはアイドルでもタレントでもなく『舞台俳優』なんだよな。

 

あまり正直に書くと刺々しい文章になりそうなのでオブラートに包むと、最近、そっかー。と思うことが多々あった。前方に入り、立ち位置に入り、ファンサの話をしてきたくせに何を言っているんだと思われるかもしれないが、私は『芝居』が好きで舞台を観に行っている。例えばこのシーンの表情にはこういう感情が滲んでいるのかなとか、今日のこのシーンのこのセリフの言い方が前回とは違っていてこういう気持ちなのかなとか、そういうことを見たくて観劇を重ねるし、そういう変化を拾って手紙に書き連ねることで推しに「あなたの芝居を観ている」ということを伝えてきた。接触でもそういう話を沢山したい。

だけど今ってそういうオタク仕草が、所謂オタクの間で流行っていないのを感じる。それはファンサ舞台というものの存在のせいだとも言えるけど、一周回ってオタクのせいでもある。

 

レスをくれた、カテコで目を合わせてくれた、そういったことに命を懸けているオタクが一定数いる。決してそれは悪いことではないけれど、彼らは役者のはずで、私たちが支払っているチケットの定価分は全て舞台演劇という作品に支払っているのであり、その先を求めるのは強欲だ。「健康にオタクをするということ」は実は「見返りを求めること」と書いたけれど、その『見返り』は板の上の姿で十分だ。個人的にはファンサ舞台でもないのにカテコでレスを求めるのが一番よくわからない。私は推しを見るけれど、推しは私を見なくていい。芝居中に客席を見るなんて論外なので割愛。でも、そういうオタクたちを見た一定数の演者が自分たちに求められているのはこれなんだ、『これだけ』なんだ、と思ってしまうこともある。わかりやすいけれど、危ういなと思う。何度も言うように、彼らは役者だから。

少し話は逸れるけど昔から黒通称タレコミランドにてあいつはオキラだ干されだなんだの論争があったが、それもまたYouは何しに劇場へ案件だ。演者が客を嫌うなんてよっぽどのことがない限りないし、仕事中に私情を持ち出すような推しでいいのかと思うし、オタクが干されてるとかいちいち見てるの暇すぎる。

 

友達が「ファンサがどうとかで心がざわついて結果芝居に集中できないのって勿体ない」みたいなことを言っていた。その通りだ。あおさく以外でそういう経験をしたことがないのは私の中に慢心があるからで、それはある意味いいことなんだと思う。

特に横田くんは本当に、どこにいても見つけてくれた。私のことも、同厨の友達のことも。だから芝居に集中できなかったことはない。干されるかもなんて不安なんかないから。だけどそれはファンサ舞台のファンサタイムに限った話であり、カテコでなにかアクションをすることなんてないし、芝居中なんて以ての外だ。そのストイックさが好き。芝居で全てを見せてくれるところが好き。私も友達も沢山優しくしてもらってきたけど、私たちが横田厨人生で一番幸せだった作品に『グッド・イブニング・スクール』を挙げることが全てである。ちなみに私の次点は『VIOLET』で、きっと彼女も同じだと思う。

 

上にも書いたけれど、私たちは芝居を観て考えることが好きで、変化を感じることが好きだ。一生懸命本を読んで稽古をして届けてくれるものを、こちらも一生懸命全力で受け止めたいと思う。そうじゃないと失礼だと思うから。

ただ、私たちってそういう話を全部手紙に書いて終わりにしてしまう。他の友達がどうかはわからないけれど、少なくとも私は『届けてくれるものに何かを思うこと』がオタク行為の本質だし、その一番真ん中を他人に見せたくないし、見せることで何かを思われるのも嫌なのでひた隠しにする。あまり具体的な感想を手紙とアンケート以外に書かないのはそれもある。だからどうしてもSNSで発信するのはかっこよかった!かわいかった!優しかった!大好き!ばかり。それにSNSでは頭が悪いと思われた方が好都合だから、あえてそういった振る舞いをする。

そこそこの人数にヲチられている自覚が今更無いわけがないので言ってしまうが、そうしてきた私たちも悪いと思う。表面だけを掬った人が、これが正しいオタク仕草なんだ!と思ってしまうことも無きにしも非ずなので。いや正しいとか正しくないとかないんだけど。オタク行為は自分の信じたままにやればいいけれど、この大SNS時代、オタクがオタクを育てるということもあるのかなあと思う。だから今この文章をつらつらと書いて公開してみようとしている。

 

話が散らかってしまったけど、二人の話を聞いていて私は『ファンサ』舞台が好きなのではなく、ファンサ『舞台』が好きなのだということを改めて自覚した。ただ若いイケメンに優しくされてキャーキャー言いたいだけならアイドルの現場にでも行くだろう。追記:人並みの欲はあるのでファンサはしてほしいしプレも使ってほしい。だけどそれはあくまで付加要素であることは理解していて、私は大前提として『芝居』が好きな人間だ。

どうして私が『舞台』を選んで『舞台俳優厨』でいるのかを私自身がきちんと理解していたいし、押しつけがましいけれど推しにも伝えたいなと思う。

 

 

まだ少し時間があるので最後に私の好きな人たちの話を書く。

横田くん

嘘のない人。芝居に貪欲。でも、それは私が出会った頃からそうだったわけではないと思っていて、みほとせ初演を筆頭に周囲の環境に恵まれて役者としてここまでの人になったんだなと思う。とっても優しいけど、いろんなことを割り切って『区別』をつけられる人。どんな不安も板の上の姿で全部吹き飛ばしてくれる。神様みたい。

 

しょごち

自分の武器は何かを理解して使いこなせる人。芸能の人間として、ファンビジネスとはなんなのかを考えて最大限の努力をしていてかっこいい。勿論お芝居の手を抜いているわけではないし、『演劇を生で届けること』を重視した超絶現場主義で最高。「一公演でもいいから現場に来て。細くていいから長く応援してほしい」と言った彼の芝居はこれからもきちんと劇場で観劇し続けたい。篭手切くんの姿をしているときは篭手切くんとしてしか見られないのが歯痒い。

 

だいごちゃん

新しいことを楽しんでいる人。できないことができるようになるのが楽しい!ってキラキラとした目で言っていた。ここから舞台演劇って楽しい!になってくれたら嬉しいし、芝居ってなんだろうっていっぱい考えてほしい。だから私は彼が試行錯誤しながら届けてくれる『芝居』の細かい変化を出来得る限り汲み取りたいし、『芝居』を観に行っていることを伝えるために長い手紙を書く。

 

健介は自分を応援してくれている人に感謝を忘れない人、阪本さんはやりたいことをやり抜くために努力を惜しまない人、りょせちは全ての仕事を全力で楽しんでいる人。みんなのこと少ししか知らないけど、全員素敵な人だ。

私の好きな人たちも、それ以外の人たちも、みんながみんな元気で幸せでいてくれますように。

 

 

 

おわり。